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皆さんこんばんは。ただいま紹介頂きました中後淳でございます。
少々背が低いので、上から見下ろすまでとはいかないまでも、ちょっと台の上から失礼させて頂きます。
本日は雨の中、また土曜日の夕方という貴重な時間に、こんなに沢山の方々にお集まり頂き、どうも有難うございます。一生懸命話したいと思います。
今日私が皆さんに話したいことは、3つだけです。
1つは私が何故市議会議員になろうと思ったのか、
2つ目は市議会議員として何をしたいのか、
3つ目は私のキャッチフレーズ“守る優しさ 育てる強さ”、その意味について。
その3つです。
まず1つ目の何故市議会議員になろうと思ったのか。
これは私が大学院まで行き、大きな大きな新日鉄という会社に就職していたこともあり、多くの人から投げかけられた質問でもあります。
答えは私が富津に住みたいと思ったからです。
私は生まれてから19年間数馬の湊小学校の前で生活してきました。湊川で遊んでいました。湊小学校のグランドで遊んでいました。湊の海で遊んでいました。近くの山で遊んでいました。
そして、6年間東京で学生生活をしてきました。その後、4年間はサラリーマン生活をしてきました。その間、東京や九州、日本各地、色々なところを見てきました。そして、年齢が30に近くなり、遅まきながら、将来のことを真剣に考えるようになると、また外で長い間生活していると、自分の生まれ育ったところというのが客観的に見えるようになってきます。
私は10年間、外で生活していました。そして、富津で生活したいと思うようになりました。富津で生活をし、私はまだ独身ですが、富津で結婚し、富津で子供を作り、子供を育て、富津で孫が産まれ、富津で死んでいくのも悪くないなと思いました。外側から見ると、富津市と言うのは大変魅力的な街だというふうに思いました。その気持ちを皆さんも同じように持っていると思います。僕らの世代の人達も同じように持っています。
東京に住んでいる人、千葉に住んでいる人も富津で育った人は富津に帰ってきたいと思っている人が結構大勢いるということを分かって下さい。
その人たちが何故富津に帰ってこれないのか?仕事が無いからです。若い人達が就く仕事があまり無いからです。東京や千葉の方が生活するのが簡単だからです。私は何とか自分の力で富津で生活したい、生活を作りたいと思いました。
しかしサラリーマンをやっているとなかなか難しい。住むところも自分で決められない。そういう思いで昨年サラリーマンを辞めました。
そして、自分で会社を立ち上げようと初めは思っていました。しかし、実際に自分で会社を興そう、仕事を作ろうと思うと、まだまだ30歳という年齢が邪魔をしたり、財力の無さが邪魔をしたり、人脈の無さが邪魔をしたり、信用の不足が邪魔をしたり、難しい面が多々出てきます。富津市では若者がゼロからスタートするベンチャーを立ち上げるのは大変厳しい環境ということがわかりました。
それであるならば、仕事を作る仕事というのはなんだろうということを突き詰めて考えました。会社を興せるような環境作りの仕事、街づくりの仕事はなんだろうということを考えました。
その結果として市議会議員という選択肢が見えてきました。
以上が、私が市議会議員になろうと思った理由です。
2点目の市議会議員として何をしたいと思っているのか。
私は先ほど富津に住みたいと言いました。富津で仕事がしたいと言いました。しかしなかなか難しい、都会で生活する方が易しいことも分かっています。
富津市には若者があまりいません。若者がいてもみんな出て行ってしまいます。
何故か?
先ほど言ったとおり仕事が無いから、それだけだと思います。実際に仕事があればそんなに出て行きません。
若者が出て行かないようにするためにはどうしたらよいか色々考えました。
まずは、若者・女性と言う今富津市政に足りないパイプラインを作ろうという事を考えました。現在の富津市の議員の構成を見てみますと、若干年齢も高めですし、また女性の数も少なく、今回の選挙に関しては立候補した人は全員男性です。
それでは若者や女性の意見は行政には反映されないと思います。元気のある街、女性の意見の通る街、若者の意見の通る街には必ず女性議員や若手の議員がいます。彼らがパイプ役になっています。
富津市にはそれがありません。元気が出るはずがありません。
私がその第一歩、その先陣が切れればそれでいいと思っています。女性や若者が次から手を挙げやすい環境を作っていければ言いと思っています。そのためにあえて30歳という年齢をおして立候補を決意したということもあります。
ですから、女性や若者、そういう人たちの意見が通るような、また、何を考えているかということがわかるような、そして多少なりとも市政に対して、行政に対して興味が持てるような研究会や勉強会を開いていきたいと思っています。
次に地域振興をどのようにして行なっていきたいと考えているか。それは富津市の魅力を最大限に生かすことに他なりません。
富津市の魅力は東京への距離と自然環境だと思います。大都市への距離と自然環境のバランスが富津市と同じくらい優れているところは、日本全国探してもあまりありません。
海・山・川が揃っている場所から電車・車で1時間で東京にいけるところはあんまりありません。
農・林・水産業が営めるということは自然環境に大変恵まれているということです。
私は富津が好きですと先ほど言いました。それは、海が好きだったり、川が好きだったり、山が好きだったり、東京湾越しに見える富士山が好きだったりといった、富津の環境が好きだということです。これは地域振興ということを考えた場合、今まではネックになる非常に難しい問題でした。
山を壊したり、海を壊したり、川を壊さないと地域振興ができない時代が続いてきたように思います。
しかし、コンピュータやインターネットというものが非常に発達してきています。まだまだ浸透はしていないかもしれませんが、すごいスピードで発達してきています。
それを使った産業というのは山を壊したり、海を壊したり、川を壊したりしませんし、時間と空間の制約があまりありません。
そういう産業と、古くからある地域の産業がしっかりと結びついて、融合して、調和して発展したとき、東京への距離と言うのが非常に大きな武器になると思います。
そういった道が富津の進むべき道だと僕は考えています。また大きな可能性があると思います。他に富津が振興していく道が僕にはまだ見つかりません。そういう方向を皆さんに提案したいと思います。
地域の特性を最大限に生かして、新しいものを取り入れて、調和して、周辺環境と共に発達して行くような形が作れたらいいと思います。
富津市には現在の東京のような都市化は必要無いと思っています。少々乱暴な言い方ですが、都市に住みたい人は東京・横浜・千葉といった大都市に移り住めばいいと思います。
海が好きだったり、川が好きだったり、山が好きな人が富津に住めばいいと思います。富津に住みたい人はこういう場所が好きな人達が集まってくればいいと思います。都会に住んでいる人でも、こういう場所に住みたいという人は大勢います。そういう人達が集まり、富津で育った人達が帰ってくれば、富津の将来は明るいと思います。
それができるような地域振興を図りたいというのが私のやりたいことです。
3つ目のキャッチフレーズについてですが“守る優しさ 育てる強さ”と付けました。
一般的には守るも育てるも強さの方がしっくりくると思います。少し響きがおかしく感じられるかもしれません。
今までの日本と言うのは、“育てる 育てる 育てる”だったと思います。なかなか守る方には意識がいかなかったと思います。
その結果、都市化が進んだところなどでは歪が出てきたりしています。これから先は守る方に意識を集中しなければならない時代がやってくると思います。もうやってきていると思います。
富津には先ほども言いましたように素晴らしい自然環境があります。この自然環境というのは、東京都がいくら頑張っても手に入れられないものです。お金をいくら払っても買うことができません。欲しい人はたくさんいるけれどもお金では買えません。
その手に入れられないものが東京からすぐ近いところにあります。これは貴重な貴重な財産だと思います。また今後ますます価値の上がる財産です。この財産は守っていかなければいけないと思います。
この財産を守る心は何かというと、地域のことを思う“優しさ”だと思います。地域の環境を守る“優しさ”。子供を守る“優しさ”。お年寄りを守る“優しさ”。文化を守る“優しさ”。
優しい気持ちがあればしっかりとこれは守っていけると思います。皆さんの中の少しずつの優しい気持ちが集まれば、富津は間違った方向に進んでいかないと思います。
そういう色々な意味で何かを守っていくという優しい気持ちを第一に真剣に考えたいというところから始まっています。
その優しい気持ちをベースにした上で、何を育てていけばいいかを考えれば、ちゃんとした街おこしができると思います。
難しいかもしれません。強さが必要だと思います。そういう意味で“守る優しさ”をベースに、“育てる強さ”を持とうという意味を込めて“守る優しさ
育てる強さ”をキャッチフレーズにしました。
あえて何を守り何を育てるのかということについては書いていません。たくさんあると思います。これから皆さんと一緒に真剣に取り組んでいきたいと思います。
最後になりますが、今回私が市議会議員に出馬するということを表明してから3ヶ月近くたっています。
初めは僕の友人数人から始まりました。
少しずつ、少しずつ輪が広がってきました。今日も街頭演説をしますというだけで、雨の中こんなにたくさんの人が集まってくれました。
今では皆さんから「若い人達に期待します。頑張って下さい」と言う声が非常に多くなりました。涙を浮かべながら握手してくれる人までいました。
そういう暖かい気持ちがここには残っています。
とても力になります。頑張らなければいけないという気持ちになります。都会に多いドライな気持ちの人は少ないです。人と人との関係がしっかりと残っています。
そういう街でみんなで何を守り何を育てるのかということを考えればしっかりとした街ができていくと思います。
皆さんもそういう温かい心を忘れずに、もう少しだけ富津市を良くしよう、一緒に頑張りましょうという気持ちを持ち続けて欲しいと思います。
皆さん一緒に頑張っていきましょう。宜しくお願いします。
ご静聴有難うございました。
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